My Foolish Heart

From America to Everywhere

アメリカ生活1ヶ月目の感激と学び DXよりも大事なこと

アメリカに住んで1ヶ月が経った。感激したのは、車を買う、電気を開通させる、インターネットを申込む。最初だけでなく、後者の2つの電話オペレータから顧客満足度の向上と結果を出すとは何たるかを学んだことである。彼らは社交的で基本的お喋りだ。日本人とわかると日本のネタで話し始める。一見遠回りである。でも前に進み、すんなり決まる。それはなぜか、私が思うに彼らがその場でアクションを起こすからだと思った。実は、インターネットを申し込んだ際、前の入居者が解約していなかったことに気づき、その場で保留にして、前の入居者に電話をかけるということをしてくれた。

日本ではそんなことが起きるだろうか?私はNoだと思う。

日本ならいわゆる電話オペレータはいわば画一的なロボットだ。決まった対応しかされないし、わからないことは分からないと融通が効かない。おそらく前の入居者がいますので、対応します。ここでおしまいだろう。結果がコミットされていないのである。これでは結局何も解決しない。仮に電話口が丁寧でもそれは最終的に顧客満足度に直結しない。こういったことが割と日本全体に蔓延っている気がしてならない。

他にも例がある。日本では電話口では大変混み合っているとだけ言われ、いつになるのかもわからず待つ羽目になるが、アメリカでは機械的に今の混み具合だと目安として○○分後に折り返しできるのでよければ1をプッシュして一回電話を切って欲しい、○○後が厳しければ2をプッシュしてと言われる。

こういう顧客満足度のあげ方は日本ではないのではないか?

日本には何が欠けているのか?

私が思うに、アメリカ人は(正しいかは別として)出すべき結果をちょっとだけ、いやかなり考えて提示しているのである(何度も言うが正しいかは別である)。それを日本では最初から礼儀とかいうまやかしで覆い隠している気がしてならない。丁寧に接すればそれでいい。優しければそれでいい。そういう思考停止になっている気がする。

ここからは私見だが、おそらくアメリカ人はこう言うまやかしの礼儀をそこそこに、やはり結果にコミットすることに力を置いていると思う。それが結果までの早さ(単なるスピード)を生んでいるように思う。

今日本はテクノロジーを頼りに省人化を進めようとしているが、テクノロジーよりも容易に改善できるのは上記の通り、礼儀をそこそこに、合理的に早くやるシステムだと思う。これは時代云々ではなく、老若男女問わず私たち一人一人が今日から実行できることだと思う。