My Foolish Heart

From America to Everywhere

どこまでの正確さが僕には必要か(機械式時計やクオーツ時計が心地いい)

アメリカで皆既日食のイベントがあった。私の場所では100パーセントまでは行かなかかったけれど日中にもかかわらず辺りが暗くなり始め、街頭の電気がつき始めた。自然の脅威を感じる好奇心がくすぐられる最高のイベントだった。

そんな天体イベントを妻と散歩中に話す中で、ふと1日が24時間であることに興味を持った。調べると、紀元前5000年前にはエジプトに既に日時計なるものがあって、昼と夜をそれぞれ12等分にできていたらしい。既に24という概念があったことが脅威的だ。そこから必要に迫られて、より精度を上げる戦いが始まって、機械式時計が出現したのが約1300年。6500年かけて、精度は50秒に1秒の遅れまで到達する(1日に約29分遅れる)。そして、256年後の1656年に振り子時計の原理で、5分に1秒の遅れまで到達(1日に約5分遅れる)。そしてそこからまた271年後の1927年についにクオーツ時計が誕生(月差約15秒=年間3分遅れる)。今は原子時計などさらに進歩を続けているわけです。参考文献は下記。

時計進化年表(クオーツ時計~現在編) | THE SEIKO MUSEUM GINZA セイコーミュージアム 銀座

 

まだまだ進歩を諦めていない僕ですが、クオーツ時計の遅れを聞いたときに心地よく感じたんですね。1年に3分であれば遅れたって全然いい、十分な進歩じゃん、と。10年で30分しか遅れないし、必要に応じて、携帯見ながら直せばいい。言葉にするのが難しいのですが、(標準時を管理したり、仕事に遅れるのは別として)自分が所有する時間?はそこまで厳密にする必要はないのかなと思ったのです。

クオーツという手にとれる物質で世の中を測るのも人間的な温かみがあって好きです。まだまだ私は進歩できそうにありません。