My Foolish Heart

From America to Everywhere

平日は有休を取って近所を歩こう

平日会社にずっといる私のような社会人に欠けているもの、それは「平日近所」という世界線です。しかも日中の近所。

久しぶりに平日に休みに取ることができまして、普段なら遠くに出かけたりジムにいくという意識が強いのですが、GWでジムもしまっていたりで仕方なく近所を歩くことに。

正直驚きました。私が知らない別の世界が存在していた訳です。まずおじいちゃんおばあちゃんが多い。

いや一番言いたかった驚きは知らん店が開いているということです。あんなところにケーキ屋さんが、あの店らしきところが生気を得て(当たり前ですが)客を迎え入れている。あまりにも感動して昼から店をハシゴしてしまいました。

思えば我々は案外人生を同じ場所と同じ時間帯で繰り返しているのではないでしょうか。細かく区分けする必要もなく、私に徹底して無いのは「平日近所」+昼間。割とそばに存在しているのに出会えない貴重な存在。私が生きているのは平日会社と休日近所。だが、自分の近いところに色々なヒントが待っているのかもしれません。

たまには平日に有休をとって近所を歩いてインスピレーションを得たいと思います。皆様も是非自分の過ごさない世界線を過ごしてみてください。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

Kaishu

具体的な言葉にすると消えてしまうような感覚

今回は短い平凡な話です。

会社員になって10年近く働いてきて良かったと思うのは、最近は苦しいけども素敵とも言える経験をすることが多いということです。多くの新しい考えを持った新入社員が入ってくるのをみるし、本当に大好きだった青臭い上司が退職していってしまう。そういう時に最近感じるのは嬉しい悲しいという感情よりも、何か腹の底で醸造されていく思いです。

素敵な人たちとの時間、空気、もらえる言葉、メッセージ。

このみんなが自由に呟くSNS時代に何をいうか、と思うかもしれませんし、これまで私もSNSで思った事を吐露してはいたのですが、最近はどうも「具体的な言葉にすると消えていってしまう」ような感覚になることが多く、消してしまうことも(ちょうど消してしまいました)。

それはきっと私一人が思う感情は実は平凡な事であって、文字にすれば何て事ないものなのでしょうが、コンテクストは私だけのものであるということと、大切なことは外に出さずとっておきたいということでしょうね。

だからこそ、その文字に起こせないような経験を一緒に共有できる時間、空気を真摯に大切にしていきたいと思います。

「自分がよく知らないビジネスには手を出さない」のは正しいのか

今回のタイトルは投資家ウォーレンバフェット氏の投資ポリシーの一つとして知られているものから取ったものです。バークシャー・ハサウェイ率いる同氏は先日来日し、日本の総合商社への出資比率を高める事を発表していました。

同氏のコカコーラなどの「ブランド価値の高い企業に投資する」ポリシーは有名ですが、「自分がよく知らないビジネスには手を出さない」というのも度々よく目にするポリシーです。私は勝手ながらこのポリシーを「自分が肌感覚で理解できる事業を選ぶ」と変換して理解しています。

なぜこのテーマを設定したかといえば、社会人として10年勤続してきて、そろそろ興味のない出世から距離を置いて、今いる業界や置かれているルールの中だけに留まらず、何か一貫した事業に振り切って専門性を磨いていきたいと考える中で、直感的に腑に落ちたポリシーだったからです。

今日の参考文献は以下です。

テーマに対する結論から申し上げると、「自分がよく知らないビジネスには手を出さない」のが正しいか否かはわかりません。もっと背伸びをしろ!未領域の分野に飛び込んでこそ、商売をやる意味があるんだ、という声もあるかもしれません。しかし自分が拭い去れない違和感がある場合は自分の直感を信じるほかないとも思います。

幸いにも私は重厚長大の産業に10年間関わってきました。組織一丸となってデカいことを成し遂げ日本の公益に寄与する点では本当に意味のある事だとは思います。しかし冷たくいえば何か自分なりの足跡を残したというよりかは、あのプロジェクトに長年関わってました、という実績しかなく、スパンが長いが故に日々に一定の緩さもあり気がつけば歳だけ取っていたということになりかねないのも事実だとも思います。

その中で、私が最近一番生理的に気持ち悪いとして感じているのが「肌感覚で掴みづらい」という点です。宇宙ビジネスやeVTOLなどの新領域がよく取り上げられていますが、上記の重厚長大産業はこの手の新領域に政府の後押しも受けて、飛び込みたがります(そうせざるを得ないのかもしれませんが)。でも「本当に手を出して大丈夫なのか?」というのが私の内なる声です。

本当に幼稚な発想ですが、まず宇宙に行ったこともないし、飛行機もヘリコプターも飛ばしたこともない人間がどうしてそれらの事業で上手くいくという確信を持てるのか、また大勢の利害関係者で新領域を先取できると思うのかが本当にわからないのです。その理由が、「できないけれども、やらなければ国際競争においていかれると感じてとりあえず政府の補助金つけて手を出す」だとか「国内産業に金を落とすためにとりあえずメーカーにやらせてみる」というメンツや建前に起因するものであったなら地獄です(正直そういう事情も多々発生しがちです。)。

 

確かに結論で申し上げた通り、難しそうだけれども、やってみたら実はできたとか、メンタルとして、未知に挑戦するビジネスマンであるべきだという指摘はごもっともです。しかし、今の日本の技術力とマインドでできるのかという冷静さは絶対に持つべきだとは思います。そういう意味では肌感覚で理解できないものには手を出さないというのは私が大事にしていきたいポリシーです。

最大のリスクは大事にしたポリシーが全然間違っていて、社会人人生が希望していた方向に行かなくなるというのはありますが。。。

 

みなさんはどのようにお考えでしょうか。是非お考えお聞かせください。私は今温めているアイデアが幾つかあるのですがまたそれはどこかで披露させていただければと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

Kaishu

成長し続けることと持っているもので戦うことについて

キャリアも10年目に突入しました。

未だに自分が何者なのか胸を張れないまま日々社会人生活を積み重ねているといってもいいと思います。

まがいなりにも資本主義の構造が少しずつ見えてくることで社会をシニカルにみたりこれまで巨大に見えていた社会という場所は実は人々の営みによって形成されており自分も貢献できてきたと勘違いしたり。。(なんと傲慢なのでしょう。)

ただTwitterで見知らぬ人を否定したり、罵詈雑言をぶつけたり、ゴシップに盛り上がったりそういうことには次第に興味がなくなってきて、少々ホッとしています。

 

さて、私の傲慢さをフィジカルに感じさせてくれるところは週1回の格闘技ジムです。

これまでの人生で交差したことのない学歴も経歴も知らない人とスパーリングをして顔面をパンチされ、クラっとすることも。仕事で失敗してジムに遅れて着いて、今度はコーチに遅いと怒られ、「重要な仕事があったんだ」といっても、世界が違うので通用しない、というか彼らにとってはそんなこと微塵も関係ないわけです。そして膝や腕を怪我して帰る。情けない。いくら仕事をしてようがどんなに給料貰ってようが自分は確実に弱い。

でも私はこの格闘技という面を人生を持つことができて本当に幸せだと感じています。確実にこれまでの人生の延長線上では出会うことがなかった。こういう「異次元」へのジャンプの機会を与えてくれた友人に心から感謝しています。

 

そんな先日私が通うジムに所属するプロ選手の従兄弟の方の試合がありました。相手はあの那須川天心選手。彼のデビュー戦。那須川天心選手vsボクシングというキャッチフレーズがついていて世間は那須川天心選手を当然注目します。アマゾンプライムで世界中継。タイトルマッチでもないのにものすごい演出です。日本ランク2位の与那覇選手にとっては那須川選手を倒せば間違いなく世界から注目される、またとないBigGameなわけですが、このシチュエーション、胸にこみ上げるものがありました。

私は与那覇勇気選手を手を握りしめてみていました。与那覇選手が戦う映像を見て本当に心が震えました。

 

これまで自分の中にあんなに無限にあると思われた上昇志向が10年目にして若干弱まっているかもと感じる機会があります。ちょっと疲れたとか。今後は後輩に受け継いでいく立場だとか、子供たちに残していくものは何かなど。でも、きっとこの成長し続ける事をシビアに求めることがきっと那須川選手戦のようなグッとくる機会を引き寄せることだと思ってやっていきたいと思います。ジムはしんどいですが引き続き通い続けます笑 

 

今回はかなりとりとめのない文章になってしまいましたが10年目の決意でした。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

Kaishu

夏に向けて、illyのアイスエスプレッソで、ととのう

今日はコーヒーの話題を。

※最初に断っておきますが私はillyの回し者ではありません。

 

皆様、春がやってきました。

寒かった時期も終わりを告げ段々と夏に向け暖かくなってきます。

私が以前駐在していた地中海圏(ギリシャ)では必ず人々が夏に向け飲み始める最高のコーヒーの飲み方がありますので紹介します。

それは熱々のエスプレッソをキンキンに冷えた氷の中に入れてステアしたものです。

ギリシャでは「フレッドエスプレッソ」と呼んでおり、無糖が好きな僕は「フレッドエスプレッソ スケート(無糖)!」とコマンドのように店員さんに言っていたものです。この飲み物はアイスコーヒーとは全く異なるものです。


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まずエスプレッソは通常のコーヒーに比べかなり濃いのですが、それが氷と合わさると口に含む時にちょうどいい濃さ(と温度)になって喉にガツンとくるのとエスプレッソの香りの良さが一気に鼻に駆け抜けます。あまりにも爽快感があり、中毒性の高い悪魔の飲み物と例えてもいいくらい。これをビーチで飲むとまさに「ととのう」のに近い感覚が得られたものです。正直、1日2−3杯はこれを飲んでいました。

 

帰国してから日本流のアイスコーヒーに慣れ、若干のフレッドエスプレッソロスになっていたところ、ふとillyに入り「アイスエスプレッソ」なるものがメニューに載っているではありませんか。恐る恐る店員さんに確認したところエスプレッソを氷に入れた「だけ」のものなんです、と。「いやいや、それが、それが一番良いんです」と心の中で唱えて注文。

間違いなくこれはギリシャの味!とクラっときてしまいました。

値段は少々高いのですが、本当にこれは試す他ないです。

是非皆さんも飲んでみて「ととのう」爽快感を味わってみて下さい。

商品リンクはこちら。

『アイスエスプレッソ』 | espressamente illy

 


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当時近所のカフェにて

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

Kaishu

Bリーグの魅力 バスケ観戦中毒

最近気がつけばほぼ毎週Bリーグの試合を観に行っています(サンロッカーズ渋谷川崎ブレイブサンダースアルバルク東京)。バスケ観戦中毒です。Crazy for Basketball!私は一体どうしてしまったのか。

何故か解りませんが気がつくとあのLIVE空間に行きたい!という衝動に駆られるのです。自分でも信じられない感覚です。スタジアムに向かって足が歩いていっている。

 

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元々LIVEで何かを見るのは好きでスポーツも見るのですが、生で観ると「確かに楽しいんだけど、寒いし、ちょっと遠いし、テレビのような情報も実況もないし」と割とガッカリすることが多かった。(大好きなF1ですらです。)しかも偏見で日本のスポーツって海外に比べるとスケールダウンするなぁという気持ちも否めなかった(すいません。)

でもバスケ特にBリーグは何故かグッと持っていかれる何かがある。。ちょっと今回は私の趣味に付き合ってください(Bリーグの回し者ではありません。)

私が思うバスケ、特にBリーグの魅力は紛れもなく「箱という舞台装置が作り出すエンタメ性」と「サクッと視られる試合形式」にあり、その効果が今のスマホ文化とも親和性が高いと思います。それに加えて個人的にストリート性を挙げたいです。

 

「箱という舞台装置が作り出すエンタメ性」

箱という性質ゆえ、

・一体感が生まれやすい

・大音量で音楽を流したりできる

→これによって、箱が舞台装置になります。DJが曲を流し、MCが盛り上げる。チアリーダーが舞台を舞う。言い過ぎかもしれませんがクラブが作り出すような高揚感を生み出すのです。私はプロスポーツはただ勝ち負けを見るのではなく、エンターテイメントとしてとにかく楽しみたいと思っているので、エンタメ性をブーストする装置が大好きです。

また性質変わりますがコートを取り囲む観客がフィールドの中心に注目するのでメディア性も高まり広告なども効果的に打つことができます。

 

「サクッと見られる試合形式」

・1Qは10分

・実際の試合も約2時間

・コートの大きさが狭くテンポよく試合が進む

・得点が大量に入る

→本当に気軽に見られるのです。気が向いた時に1Qだけ見られる。また野球と違い時間が短くダラダラ感もなく、サッカーと異なりテンポよく点数が入る。ワンプレーも切り取ってTwitterTikTokにも投稿しやすく現代メディアとも親和性が高いと思います。

 

最後は私が個人的に好きなストリート性です。それは歴史的な背景もありますが、DJが場を回し、選手が綺麗な技だけでなく荒々しいダンクシュートなどで相手を煽る。そういうマッチョさが好きなのです。(Bリーグはかなりファミリーの集客に力を入れているようですがもっとアングラな要素を出してくれたらもっと嬉しいと思います。私が個人的に好きなのは割と個人技が多く、ホーム会場もめっちゃ狭く、ストリート感を感じるサンロッカーズ渋谷です笑)


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私はいつかこういうエンターテインメントに関わる仕事をしてみたいなとは思います。是非Bリーグをみてみてください。

無料なのは誰かが対価を払っているから(タダ飯などない)

この題名は映画「ドリームプラン(原題 King Richard)」でウィリアムズ姉妹を熱血指導する父親リチャード(ウィル・スミス)が、テニスのトーナメントで無料の食事が出てきた時に姉妹が喜ぶ姿をみて、発するセリフです。怒りを交えて吐き捨てるように言い、2人を無理矢理その場から剥がし、帰宅させるシーンが印象的で記憶に残っています。

 

 

 

最近は中高生がTikTokにモラルに欠ける動画を上げ、彼らが炎上するニュースをよく目にします。「将来、誰でも15分は世界的な有名人になれるだろう」と言った当時のアンディ・ウォーホルの言葉通り彼らは有名になり、炎上し、驚くことにショックを隠せずに落ち込んでいるようです。(正直こんなニュースをまともに取り上げる大人がいたり、社会は直ぐに忘れるのに深刻になりすぎる少年たちも良くないとは思いますが。)

 

私は少年たちのモラルが低下しているとか、些細なことを叩く大人が大人気ないという事を言いたいわけではありません。私が言いたいのは、「そもそもなぜTikTokに無料で自分たちのしょうもない動画を流通させられるのか」をもう少し考えたほうがいいという事です。

 

残念ながらはっきり言って子供達の炎上動画に価値があるわけではありません。しかし、その炎上動画をみる視聴者数と視聴者に価値があります。多くの人間がそういうしょうもない動画を見るために滞在することで広告を打つ価値が高まるわけです。実は視聴者も同じです。広告ビジネスに加担することで、対価として動画を見ることができます。要は無料なのは誰かが対価を払っているから、なのです。

 

便利と言われるGoogle検索も同じことです。我々が検索窓にワードを入れて検索すると手っ取り早く情報を得ることができますが、それは検索であれば我々が自分たちの関心事項をいう個人情報を、地図であれば自分たちの位置情報を「対価として支払って」情報を受け取っているからに過ぎません。つまり「情報の物々交換」です。これは以前私が学んでいた米国独占禁止法で、FTCが既に検索エンジンによる情報のGive&Takeを「市場」と見ていたことからも明らかです。

 

我々がこうして無料と勘違いしているネット世界を自由に楽しめているのは自分たちの個人情報を対価として切り売りしているからだけであって、そこには資本主義の責任が伴います。それを関心事や位置情報だけに留まらず、顔や、ましてや学校の情報まで特定されるくらいの背景を出して動画を上げるのは自分が得られる価値(上記の15分だけ有名になれる?価値)に比べてかなりの大赤字な行為と言えるのではないでしょうか。

 

今回炎上した彼らはそんなギャンブルを社会に対して仕掛けて「大損こいた」という結果でしかないかなと思います。割と結果は最初から見えていたわけですが。こういうブログを書いている私自身も明日は我が身かもしれません。

 

でもまずは学校で教えるべきなのは子供にTiktokをやらせないということではありません(最悪なのは子供にスマホを持たせない!とかいう頓珍漢な親の結論になることです。私は中高時代はインターネットで多くを学びましたので。)。それよりも、インターネットやTiktokの収益構造やそもそも実世界同様、タダ飯などないぞということを分かりやすく教えることが大事だと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

Kaishu